ある当事者会主催者の独り言 第5回
ある当事者会主催者の独り言 第5回
「合理的配慮」の義務化
最近の障害者に関する話題として、世間一般でも比較的に意識されたのは「合理的配慮の義務化」ではないでしょうか。
今年(2024年)の4月1日から「障害者差別解消法」の改定により、「合理的配慮」が一般事業者にも義務化されました。(実は公立校など公的機関では2016年から義務化されていましたし、民間の事業者でも雇用分野では障害者雇用促進法で義務化されていました)
この「事業者」の範囲は幅広く、「商業その他の事業を行う者」ですので、継続して何らかの事業を行なう人(とグループ)は、営利性や非営利性、個人・法人の別を問わず対象になります。(もちろん、「みどる中高年発達障害当事者会」も対象になっています)
障害の有無を問わず、なんらかの事業に関わってる方が大多数だと思いますので、今後のためにも「合理的配慮義務」について知っておく必要があるのかもしれません。
「合理的配慮」にまつわる誤解
「合理的配慮」という言葉は2016年の一部義務化によって、少なくとも障害者の間では広く知られるようになったと思いますが、障害者の間でも誤解があったかのように思います。
その中で代表的なのが「障害者にとって必要であれば、必ずその対応をしてもらえる」というものです。
「合理的」というのは、障害者側だけでなく、事業者側にとっても過重な負担ではない範囲であること=合理的である必要があります。(わかりやすく言えば、できる範囲なのにやらないでサービスを拒否するのは、法が禁止する不当な差別的取扱いですが、事業者の能力を超える対応を提供する義務はないわけです)
ただし、最大の誤解だと思うのは、一度障害者側が何らかの申し出をして、事業者側の負担が大きくて対応できないとされると、そこで合理的配慮は受けられないで話が終わってしまうというものです。
重要なのは「建設的対話」
実は「合理的配慮」で一番重要なポイントは、「障害者側が要望を申し出てて、事業者側が直ちに対応できなかった場合」に「建設的対話」を行なうことにあります。
これは、ご存知なかった方も多いのではないでしょうか。
内閣府が配布している合理的配慮に関するリーフレットの中で”「合理的配慮」には対話が重要です!”と「建設的対話」の重要性が明記されています。
●合理的配慮の提供に当たっては、障害のある人と事業者等との間の「建設的対話」を通じて相互理解を深め、共に対応案を検討していくことが重要です(建設的対話を一方的に拒むことは合理的配慮の提供義務違反となる可能性もあるため注意が必要です)。
リーフレット「令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義務化されます!」 4ページ – 内閣府 より
●合理的配慮の提供に当たっては、社会的なバリアを取り除くために必要な対応について、障害のある人と事業者等が対話を重ね、共に解決策を検討していくことが重要です。このような双方のやり取りを「建設的対話」と言います。
●障害のある人からの申出への対応が難しい場合でも、障害のある人と事業者等の双方が持っている情報や意見を伝え合い、建設的対話に努めることで、目的に応じて代わりの手段を見つけていくことができます。
リーフレット「令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義務化されます!」 6ページ – 内閣府 より
※ なお、リーフレット「令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義務化されます!」 は全体をダウンロードできます
リーフレット「令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義務化されます!」 内閣府 より
つまり、障害者側の申し出に事業者側が対応できない場合でも、そこで終わりではなく、事業者側からの逆提案や、障害者からの再提案などで、代替案を探し、障害が問題にならないような解決策を協力して模索することこそが「合理的配慮」の本質だということなのです。
そして、建設的対話を行なうためには、「障害者側が不便を申し出て、事業者側に解決させる」という態度ではいけないということです。
むしろ、自分の不便を熟知している障害者側こそ、建設的対話をリードして、事業者側に再提案をしたり、事業者側が代案を出しやすいように、日頃から障害特性とそれによる困りごとを意識しておくのがよいのかもしれません。
「合理的配慮」から「合理的調整」へ
しかし、一般の人、事業者側としてはどうでしょうか。
「合理的配慮の提供義務」というと、「障害者の申し出はすべて対応しないといけないのか? 話を聞いてしまうと、なおさら逃げられないのではないか?」と思われてはいないでしょうか。
なぜ、そのような誤解が生じるかについては一つ思い当たることがあります。
それは「合理的『配慮』」という訳語です。この語は日本が国連の「障害者の権利条約」に批准するために、”reasonable accommodation”の訳語として定められたようです。
なぜこの語が問題かというと、そもそも日本語の「配慮」という語には「本来不要だが、恩恵的に施すこと」というニュアンスがあり、しかも、その単語に対して「義務化」がついてしまったので、「障害者の申し出る対応にすべて対応する義務があるのでは?」との誤解が広がったのではないでしょうか。
そもそも、恩恵的な意味合いがある「配慮」の語を当ててしまったのは、日本文化に根深い「社会的弱者の権利の問題を、個々人の『思いやり』で解決しようとする」態度の典型に思えてなりません。
その結果、思いやりの延長である「配慮」という単語が、法的に義務化されてしまったので「『思いやり』を法的に強制される」との誤解が広がり、合理的配慮の大前提である建設的対話にも忌避感を持たせてしまっているとしたら問題に思います。
この訳語には多くの方が違和感をいただいているのを目にしており、最近では「合理的調整」という代替案を目にすることが多くなりましたが、ご自身も側弯症である芥川賞作家の市川沙央さんも「合理的配慮ではなく、合理的調整と呼ぶべき」とおっしゃっていました。
わたしも同感で、この「合理的調整」であれば、事業者側も忌避感なく「建設的対話」の重要性と必要性を理解できるのではないかと思っています。
将来的には、場面緘黙や統合失調症などの病名が当事者たちの要望で変更になったように、障害者団体などが声をあげて「合理的配慮」から「合理的調整」に正式に訳語の変更がされることを期待しています。
もちろん、訳語の変更がなくても、「合理的調整」と理解することで、改正された障害者差別解消法の趣旨がわかりやすくなることは間違いないでしょう。
まとめ
ここまでのお話をまとめると、「合理的配慮」(の義務化)とは、障害者と事業者側の双方にとって合理的な対応(の義務化)であり、特に重要なのは、要望を声高に主張することでも、頭ごなしに個別対応を拒否することでもなく、双方が納得できる落とし所を探す「建設的対話」だということです。
そして、建設的対話をリードして、双方が満足する結果を得るためには、自己の障害特性とそれに付随する困りごとについて理解を深めておく必要があるのかもしれません。
また「建設的対話」の障害になっているのが、「義務化」という言葉によって、事業者側は障害者の話を聞いたら全て受け入れる義務があるという誤解が生じている可能性です。
そして、あくまで個人的見解ですが、その誤解を助長しているのが「合理的配慮」という訳語であり、「配慮→障害者への一方的な譲歩」という連想が働いてしまい、もっとも重要な過程である「建設的対話」自体に拒否的になってしまわないかが懸念されます。
そこで、より障害者差別解消法の理念を正しく理解するためには「合理的配慮」ではなく、「合理的調整」の訳語の方が好ましいのではないでしょうか。