時には見守ることも必要です
今日は、時には見守ることも必要ですというテーマでお話ししたいと思います。
先日、私の息子が学校で問題行動を起こしてしまいました。
私は今回の問題行動に対して、学校の肩を持つわけでもなく、息子に「こうした方がいいよ」と説得するわけでもなく、そのまま見守るという形で対処をしました。
中には、私が間に入って対応した方がいいんじゃないかという意見もありました。
たしかに私が行動を起こして対処することもできましたが、今回はあえて見守るということを選択しました。
息子は現在中学三年生です。
これから世の中の理不尽なことへの対処が増えてくると思います。
つまり、特性による自分のこだわりによってすごく我慢しなければいけないこと、定型の人にはわかってもらえないことで悩むことが増えるはずです。
今は、母親が守る、あるいは理解ある先生が守ってくださることもあります。
そのように守ってくれる人が周りにいる場合はいいのですが、これからは必ずしもいつも周りの人が守ってくれる、支えてくれるとは限らないですよね。
進む道によっては、守ってくれる人がいない、理解してくれる人がいないかもしれない。
そういうことも考えると、今ならばゴタゴタが起こってしまっても私がフォローができるなと思って、少し早いかもしれないけれど”大人の世界”を除いてもらいました(笑)。
今回の件は、本人も二日ほど悩んでいたようですが、自分なりに解決できたように思います。
ずいぶんと葛藤があったようですが、ぐっと抑えきることを学んでもらいました。
もちろん、全てを耐えなさい、我慢しなさいと教えたいわけはないんです。
本人が「耐える、我慢する」ことで、「得をする、利益になる」ことであれば我慢できるようになってほしいと思うんです。
今回のように理不尽だと思っても我慢しなければならないことは今後も出てくると思います。
その時に我慢ができなくて衝動的に物事を進めるのではなくて、衝動的にならないように自分で我慢するということを勉強してほしかったんです。
衝動的に行動してしまったときに、「あ、やってしまった」と反省することも大事なんだけれど、それを我慢することも覚えてもらおうと思って、わざと見守りの体制でいくことにしました。
お子さんの行動を助けるだけではなくて、時には放したり、見守ることも必要ではないかと思います。
ただ、注意しなければならないことが2つあります。
一つは、すごくストレスを抱えている状態やほかに考えなければならないことがあるときに、突き放しや見守りに徹することをしてしまうとさらにストレスがかかって自己肯定感が下がることもありますので、様子を見ながら対処していただきたいと思います。
もう一つは、自分がフォローできる範囲を超えてしまわないようにということです。
フォローできる範囲を超えてしまうと後になってかえって困ることにもなるので注意が必要です。
全てのことを支えてあげようとするのは、親だけではできないこともあるので、お子さんの能力を信じて離れて見守るということも必要だと思います。
もちろん、年代とか精神的な成長度合にも配慮してくださいね。
実際に、これくらいならいいかなとかこれはどうかなと迷ってしまうことがあれば、私にも相談していただければと思います。
今日は、時には見守ることも必要ですというテーマでお話をさせていただきました。
それではまた!
音声反訳:yoshiyuki kato